新潟県南魚沼市樺野沢(上杉景勝・樺沢城跡)
樺沢城跡
 
上杉軍団 関東征旅の宿城
山城 樺沢城跡
上杉景勝公生誕の地 新潟県南魚沼市樺野沢
 
 「樺沢城跡」は新潟県南魚沼市樺野沢にあり、上越国際スキー場駅前から徒歩5分、越後府中へ通じる栃窪峠、大沢峠を背後に控え、関東の玄関口である三国街道、清水街道の分岐点をおさえる優れた位置にあります。
 「御館(おたて)の乱」では北条軍侵攻の最前基地で上田口攻防の拠点となった古戦場です。
 四季折々の眺望を満喫できる本丸跡(写真上)は標高304m、眼下500m先に上田山大儀寺跡、その先2qに仙石城跡、更に直路城につながる清水街道、その北手前に大木六殿屋敷跡、中野館跡など中世の史跡、往時の上田庄(うえだのしょう、現在の南魚沼市の一部と湯沢町)が一望できます。
東方面には巻機山、金城山、八海山、中ノ岳を望み、わずか8q先には坂戸城跡があります。
 本丸跡からの眺めには誰しも息をのむほどで、本丸跡までの遊歩道散策で、幼児から高齢者まで、年齢相応に史跡公園の雰囲気が楽しめます。
また、城下町は現在、上越国際スキー場の旅館街となり、多くのスキーヤーが訪れ、周辺には当時の屋敷跡の標石や看板が数多く、古き城下町を偲ぶ事ができるでしょう。
樺澤城入り口
「樺沢城跡」への入り口
樺澤城えな塚
「えな塚」景勝が誕生した時の胞衣を納めた

上杉景勝の誕生から生涯
上杉景勝肖像画
上杉景勝肖像画
 弘冶元年(1555) 十二月上田庄、樺野沢で生まれる。父は長尾政景、母は上杉謙信の姉、仙桃院である。幼名を卯松、喜平次と称し、顕景と名乗った。
 永禄七年(1564) 父の急死後、叔父上杉謙信の庇護をうけ、謙信の養子となり春日山城に移る。
 天正三年(1575) 上杉の名字と景勝の名乗りを与えられる。謙信の死後、もう一人の養子景虎と跡目争い「御館の乱」に勝って、名実ともに上杉を継ぐ。御館の乱に際し、武田勝頼と和睦し、勝頼の妹を妻とする。
 慶長三年(1598) 豊臣秀吉に会津へ国替を命じられる、秀吉の朱印状にその詳細が記載されている。
 慶長五年(1600) 関ヶ原の戦いで石田三成側について敗れ、降伏、米沢に移封された。
 元和九年(1623) 三月二十日に死去する(69歳)。 
 国宝 豊臣秀吉 朱印状
  米沢市上杉博物館蔵

 慶長三年(1598)正月十日
豊臣秀吉が会津へ国替を命じた朱印状。
 国替に際し家臣は残らず連れて行く事を命じている。
国宝豊臣秀吉朱印状

景勝ゆかりの品を伝える(龍澤寺)
龍澤寺(南魚沼市樺野沢)
龍澤寺
景勝の奥方菊姫の薙刀等
多くのゆかりの品を伝える。
上杉謙信朱印状
上杉謙信朱印状

龍澤庵の門前五軒の諸役を免除するというもの、
門前は桜町・古町周辺と伝えられている。
文殊菩薩像
文殊菩薩像
景勝のため母仙桃院が
永禄十年に安置する。

樺沢城最後の城主 栗林氏
    最後の城主は栗林肥前守
 栗林氏は、享禄の頃頼長の時に信濃から越後に入ってくる。
樺沢城の最後の城主は栗林肥前守である。
上杉家が米沢に移封された時に同行し、現在も米沢市にその家系は続いている。
 右の絵は栗林肥前守が太刀をあびせ山本勘介を討ち取った図。
栗林肥前守が太刀をあびせ山本勘介を討ち取った図
大日如来像  大日如来像・大澤寺
大澤寺は、栗林肥前守の帰依により、慶長の初めに御邸に移ったと伝えられる。
この本尊「大日如来」は景勝の寄進と伝えられている。

樺野沢まちおこし委員会 主な活動
 景勝生誕碑の移設除幕式
 平成17年11月6日、上杉景勝公生誕450周年記念の式典が、龍澤寺(樺野沢)にて、上杉家17代目上杉邦憲御夫妻、栗林一雪氏(樺沢城最後の城主栗林肥前守子孫)などゆかりの方々をお迎えし行われた。
景勝生誕碑の移設除幕式 景勝生誕碑の移設除幕式

山開き・安全祈願祭
山開き・安全祈願祭
城跡保全管理作業
城跡保全管理作業

上杉景勝公生誕の地交通のご案内  上杉景勝公生誕の地 交通のご案内

JR上越線・上越国際スキー場前駅より徒歩5分

関越自動車道・塩沢石打インターより車で10分

魚沼産塩沢コシヒカリ生産直売 志田農園